環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが自閉症スペクトラムを抱えていたということを知った。
自閉症スペクトラムの人は、言葉をそのまま受け取ってしまったり、他の人と協調するのが苦手だったりする。
グレタさんは小学生の頃に環境問題について知って以来、心を病んでしまうほどそれらの問題を深刻にとらえていた。他の人が何と言おうと、グレタさんが自分がもっている危機感や怒りを社会の人々に共有しようと活動するようになったのは、自閉症と深い関係があるかもしれない。
近年、特に欧米では、政治や大企業など力をもつ大きな組織にとって、政治に対する人々の価値観や困っている人々の声をは無視できないものとなってきている。
すごいことだと思う。
グレタさんらが行うデモは世界中で若者の共感を呼んだ。また、今日の日経新聞には、オーストラリアの大手年金レストに気候変動への取組について情報開示を行うよう、たった1人の若者が訴えたという話が1面に掲載されていた。
このような行動を起こす人について、周りの人々は「変わった人」だととらえがちだと思う。
多くの人は、政治や大企業の力に圧倒され、無力感を感じている。
たった一人の声なんて何の役にも立たない、そう思っている人も多い。
つまり、自閉症を持つグレタさんだからこそ、大胆な行動を起こし、人々を共感の渦に巻き込めたのかもしれないということだ。
しかし、ナオミ・クライン氏は「地球が燃えている」の中で、以下のように説明している。
以前は、社会運動と弱小国の政府がこのような要求をおこなっても、まるで政治的な真空に向かって叫んでいるようなものだった。…(中略)しかし、いまはもうそんなことはない。現在では合衆国やヨーロッパをはじめ、さまざまな地域に政治家のブロックが存在する。
このあと、アメリカ連邦議会の議員にも草の根活動に熱心に参加する人がいるということが紹介されている。
グレタさんのような行動を起こすための勇気がないという人でも、欧米で広まりつつある価値観やチャンス、機運が、その行動を起こす一歩をサポートしてくれているのかもしれない。
心配でならないのは日本だ。
草の根活動はたくさんあるだろうけれども、政治にはたらきかけられるほど、人が集まり、力をもっているとは言えない。
残念なことに、日本人同士の間には同調圧力が強くかかりがちである。「空気を読む」という日本語があるのも象徴的だと思うが、こうした文化・価値観が、人々の声を大きな力に対抗できるほどのものに育てていく過程で障害になってしまっていることは容易に想像できる。
日本は同調圧力を乗り越えていくことはできるのか、もしくは同調圧力が生み出す結束力を活かした、日本流の方法を探っていくことはできるか。
少なくとも私はグレタさんのような生き方にあこがれるなぁ。