頑固系OLのおっとりな本棚

頑固な思考から解放してくれるような本との出会いをマイペースに紹介

『嫌われる勇気』幸せになるには踏み出すほかない

 またまた今更ながらではあるが、会社の先輩に「いまこの本自分の中でめっちゃキテルんよ!」っていわれて(キテルってなにw)渋々『嫌われる勇気』を読むことに。

 

 ビジネスマンでこの本のタイトルを聞いたことがないという人はいないんじゃないかと思うくらいあまりに売れすぎた本。

 それにしても全内容が想像できてしまうくらい秀逸なタイトルだ。好かれようとしたり周りを気にしすぎて生きにくさを感じている人は多いだろうし、私もその一人だ。でもそこから脱却するのは勇気がいるということ。そんなことはわかっているし、優秀な人がそのようにしていることも知っている。今更これを読んで得るものがあるのだろうか…と思いつつ読み始めた。

 

◆アルフレッド・アドラーの思想(アドラー心理学)を対話形式で気軽に学べる

 ユングフロイトと並ぶ心理学の三大巨頭の一人であるアドラーは、どうすれば人は幸せになれるかという問いに対しシンプル答えを出している。この本では、世界は矛盾に満ちていて幸福になどなれないと考える青年と、アドラー心理学で人は必ず幸せになれると信じる哲人の対話を通してアドラー心理学が紹介されていく。

 個人的には青年がいちいち過激に反論するのが若干癪に障るし、無駄なやりとりなければもっとコンパクトになるだろうと思うが、あらゆる反論に明快に答えを出せるアドラー心理学の一貫性がよくわかる構成にはなっている。また、青年の発言のおかげで不幸な人の思考が理解しやすく、たまたまアドラーの言っていることを実践していて既に幸福な人にも、アドラー心理学の意義が伝わりやすいかと思う。

 

◆論点1:幸せとは何か ―矛盾を生まないアドラー心理学の土台となる考え方

 この本は大体3つの論点に分けられると思う。その一つ目が幸せの定義。

 アドラーのいう幸福は自由になることであり、そのためには他者から嫌われる勇気を持たねばならなぬということだ。

 本では不幸せな状態として、家族関係や過去のトラウマから引きこもりになったり、劣等感を感じたりということが挙げられていた。アドラーは、それらを含む世のすべての悩みは対人関係にあるとした。

 本当にそうなのだろうか。もっと極端な例を考えてみたが、例えば、病気で悩んでいたとしても、その悩みの本質は「病気で仕事ができなくてダメな人間だ」とか「病気で遊びに行けなくて寂しい」とかそういったことであり、常に社会とのかかわりを含む対人関係の問題ととらえられるということだと理解した(少し無理やりな気もするが)。

 そして、その対人関係の問題の根源は、他人と比較して自分は人並みにできていて期待通り他人からの承認を得ている状況にないと、共同体への所属感・他者への貢献感を持つことができず、幸せになれないということ、つまり他人の考え方に縛られた生き方をしていることにあるというのがアドラーの主張だ。ここから脱却するためには、できない自分を認める「自己受容」が必要という。

 人はみな異なる境遇・バックグラウンドを持っているし、人それぞれできないことはあるだろう。それらを「過去のトラウマ」や劣等感の源泉ととらえ、自分ができないことや人の役に立てないことを境遇のせいにすることは、「他者よりも条件の悪いこの境遇でなければ、私はめちゃめちゃできる人なのだ」と言っているのと同じであり、これでは不幸な状況を変えられない。フロイトのように結果を原因論で考えるのはなく、今のできない自分を所与として、どうとらえ、どう使うかという目的論に立つことがアドラー心理学の特徴であり、哲人が「人は必ず幸せになれる」と言っている大きな理由である。

 自己受容し、他者からの承認を得ずとも他者貢献の実感を持てることが幸せの条件なということだ。

 この理論の良くできているなと思うところは、単に「他者と比較しないことで幸せになれる」と言ってしまうと「幸せになりたいと思っている時点で、他者と比較した考え方ではないか」という反論が出そうなところ、幸福=他者から自由になることという定義で完璧に答えられるところだと思う。青年の「くっ!!」という反応がよみがえる。

 

◆論点2:幸せになるためには ―ビジネスにも役立つ対人関係の作り方

 他人に縛られることなく共同体への所属感を得、不幸から抜け出し幸せになるためには、対人関係の悩みを克服する必要があるが、それは決して自己中心的になることや、関係を断つことではない。むしろ、信頼をベースにした対人関係を築くことが重要で、その関係づくりのカードを握るのは他者ではなく自分であるというのがアドラー心理学の考え方だ。

 不幸な人が他者との関係の中で自分の位置づけを捉える際に陥りがちな考え方が2つある。

 1つは上下関係でとらえることである。対人関係を潜在意識の中で上下関係でとらえていると、常に他人からの評価にさらされる。例えば、自分のルックスを気にして不幸になっている人がこれに当てはまる。もう1つは自分が世界の中心にいるという考え方である。他人の評価を常に気にしている人は自分のことにしか関心がなく、自己中心的な考え方をしているといえる。

 この2つの考え方を持っていると、期待通りの評価を得られなかったときに、劣等感から共同体への所属感を失うだけでなく、他人を敵だとみなすようになる。そして、他者を敵視するようになると、他者は自分を裏切る可能性もあると考え、他者からの見返りを前提とした関係性しか築けず、その見返りが期待通りでなかったときにさらに不幸になる。

 だからこそ、他者とは信頼に基づいた横の関係性を築くことが必要であるというのがアドラー心理学の考え方である。他者に見返りを求めない、承認を求めない。また、自分も他人にお返しはしないし、評価しない。こういった関係にあれば、行動ベースでなく、存在ベースで共同体への貢献感を得ることができる。つまり、誰かに何かをして役に立つ必要はなく、存在しているということをもって他者に貢献し得るという考え方に立てる。つまり、病気で何もできなくても貢献感は得られる。できていない自分に対して劣等感を感じず、承認を得なくとも幸せになれるのである。

 そして、アドラーによると、横の関係づくりは決して他人に左右されるものではなく自分で変えられるという。他者にしか変えられないことと自分が変えられることを切り分け、前者は所与としてとらえ干渉しない。逆に自分が変えられることは積極的に変えていく。例えば、裏切る人とは関係を切ればよいし、その勇気を持つことが幸せにつながる。これにより、対人関係の悩みはうまく整理できる。

 この横の関係づくりというのはビジネスでも役に立つ。上司からの指示を断れず、その通りにやって失敗するということを防げる。他者とより深い信頼関係の下で仕事ができる。何よりも、他者や境遇のせいにせず、自分を変えようという前向きな姿勢は成長に不可欠だろう。

 

◆所感:本当に必ず幸せになれるんか?

   以上の論点に対するアドラー心理学の答えにはおおむね同意する。ただ、個人的には「アドラー心理学に従えば、必ず人は幸せになれる」という言い方は若干齟齬があるように感じる。

 例えば、病気の人が他人の生き方と自分の人生を比較せず、今生きていることに幸せを感じようとしたとしても、やはり他人はすごく生きやすいのに何で自分だけと思うのは仕方のないことで難しいし、考え方を変えられたとしても痛みや苦しみと向き合い続ける日々を所与ととらえて幸せへの行動を起こせというのは無理があると思う。

 アドラー心理学は幸せのための十分条件ではなく、「少しでも今の状況から脱却し、幸せに近づくには、勇気をもって変化を求めていかざるを得ない、それ以外の道はない」という必要条件的なものかと思うので、「必ず幸せになれる」という表現は改めるべきと思った。

 あと、ビジネス本を読み漁るような優秀な人たちの多くはアドラー心理学の言っていることを自然と心得てしているだろうし、この本を読んで「そうだね」としか思わないんじゃないかと思うが、いったいどこに感動しているのだろうか。心得ていることが明文化されてわかりやすくなる側面はあるだろうが、正直タイトルだけで十分では?と思う。