頑固系OLのおっとりな本棚

頑固な思考から解放してくれるような本との出会いをマイペースに紹介

政治家は専門家を疲れさせるな

怖い夢を見ると必ず夢診断にかける。

 

いつもは逃げる夢が多い。

自分の嫌な部分から逃げてる証拠だとか。

 

でも一昨日見た夢はいつもと違って、怖いゾンビと刃物で戦ってた。

 

切りつけても切りつけても、全然死なんかった。

 

何か葛藤していることがあると、戦う夢を見るらしい。

 

逃げてなくてよかった。でも確かに葛藤だらけの1ヶ月だった。

 

今週はやっと研究の方向性が固まって、少しは気持ちが軽くなった。

食欲も少し回復して、おやつにパン食べてた。

 

書きたい読書感想はたまっているのだが、今日はゼミで扱った『グリーン・ニューディール―世界を動かすガバニングアジェンダ』(明日香壽川著)の感想を。

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著者は環境エネルギー政策に精通している。

これまで政府のエネルギー政策決定プロセスや国際交渉の場にかかわってきた経験に基づきながら、グリーン・ニューディールを実現していくために必要な戦略と目標について科学的なデータに依拠して提案している。

 

話題となっているCO2排出削減目標についてはもちろん、数日前に発表された2030年に向けた電源構成の原案に直接かかわるエネルギー政策のあるべき姿についても言及している。タイムリーなのでとっても読みやすかった。

 

環境経済の本だと思って読んだ人は、少し期待外れに思うところもあるかもしれない。

なぜなら、国際協調における各国間のパワーバランスについてや、日本政府の政策決定における政治家や経済界の利権の影響力などについて、著者が見聞きしてきたエピソードが本全体に散りばめられ、強調されているからである。

 

やはり国の政策決定の最前線を見てきた人の経験談は生々しいものがあり、交渉の場では“本当に必要な政策を進めると困る人たちが大きな権限を持っている“というシステム自体を変えなければ、世の中を変えることができないという厳しい現実を読者に突き付けてくる。

 

そこには、何か著者の“疲れ”のようなものすら感じる。

 

どれだけ緻密なデータを集めて分析したとしても、どれだけ丁寧なシミュレーションをしても、どれだけ国にとってのメリットを客観的に証明しても、そこから導き出されるあるべき政策が選ばれるとは限らない、むしろ選ばれる方が少ないのが日本の政治なのだ。

 

一方でEUはそうした専門家による分析から、先行利益を得られる見込みを明確にしたうえで、変革へと舵を切ってきた。

特に最近では中国の環境政策が進んでおり、EUは少し焦りを感じている。

中国は排出量取引も開始したが、市場が大きいこと、独裁なので政策の実効性が高いことなどから、EUにとっては脅威となっているようだ。いかに先行利益を得るために改革を急ぐことができるのか、勝負に出ている段階なのだ。

 

そんなEUの動きに目もくれず、まーだ政治家と経済界の利権を守り続けようとしているのが日本なのである。

特に遅れているのは省エネだと教授は言っていた。

 

ゼミで「エネルギーミックスは必要か否か」という議題が出たのだが、いろいろ話し合ううちに、「原発も火力も嫌だけど、再エネだけではなんだか心もとない…」というような感じになってしまったのだ。

そこで、省エネが必要だという結論に至った。

 

いわれてみれば確かに、近年の日本では「いかにエネルギーを生産するか」という供給面についてばかり議論されており、「いかに消費量を減らすか」という需要面についてはほとんど議論されてこなかったように思う。

 

これはおかしな話である。なぜなら、日本はドイツなどに比べると太陽光発電などの再エネの割合が低いが、実は設置可能な面積に占める設置済み太陽光の割合はドイツの2倍であり、つまりは日本は今後太陽光を増やそうと思ってもドイツほどはすんなり増やすことができないからだ。

 

再エネを増やすことができない、原発も火力も嫌だ。

となれば、もう消費量をへらそうという方向に議論が向いてしかるべきだ。

 

なのに、なのに…いままで省エネの議論がされてこなかった…

 

この理由について、教授が指摘したのは、国民や政治家のエネルギーに対する価値観だった。

 

日本ではエネルギーについて「お金を払えば無限に使える」ものとして強く認識されている側面があるというのだ。

 

 このように電気=公共財として考えられてきた背景には、これまでエネルギー政策と気候変動政策が別々に考えられてきたことがある。

つまり、省庁の縦割りが特徴的な日本では、エネルギーはとにかく生産しなければならないもの、だから気候変動はエネルギー生産量を減らすことなく実現すべきだという考え方に固執してきてしまい、省エネの発想に至らなかったというのである。

 

ロビンズは「電気ノコギリでバターを切るな」といったそうだ。

電気は上質なものであるという考え方がそろそろ必要なのである。

 

そうした価値観の変革を促すために政治が果たす役割は大きいはずであるが、残念ながら、キャスティングボードになっている人や団体が気候変動よりも経済を優先したいという考えから離れられないうちは、正しい意見を発信している人たちや途上国の小さな意見は政策に反映されることはないのだということを今一度認識しなければならないらしい。