内定者懇談会で休みの日に援農ボランティアに行っているという学生に出会った。
いいなあ、他の大学院生みたいにいろいろやりながら研究したいけど、研究が進んでいない私にはそんな余裕は相変わらずない。
研究に関係ない本を読むことくらいは許されているような気がして読んでるけど、実際に誰かに許しを得たわけでもない。遊んでいる学生と本質的には変わらないよな~ah(髭だん風)。
とりあえず私の自己紹介では家庭菜園で育てているトマトがまだ3センチしか伸びていないことをお知らせしてやった。
援農ボランティアに行っている彼女の家庭菜園のトマトはもう実がなっているらしい。
内定先では周りに見下されるくらいがちょうどいいんだと自分に言い聞かせた。
今回は先日のゼミで読んだ『宇沢弘文の経済学ー社会的共通資本の論理』について考えたことを書く。
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社会的共通資本とは、人々の生活の基盤となる資本のこと。
わかりやすい例としては道路などのインフラや森林などの自然資本などが含まれる。
その他にも人的資本(労働力や知識など)や社会関係資本(人々のつながりなど)が含まれることがあり、どこまでを社会的共通資本に含むかの見解は学者によってさまざまだ。
しかし、そういった議論においてどのような立場をとる学者であっても、共通した主張があるように思われる。それは、社会的共通資本は市民の生活の基盤であり、市民のために整備されたり使用ルールが決められたりしてしかるべきものだということである。
決して、政治家が票を集めるために建設したり、財政難を理由に市民の合意なく民営化をしたりするような対象ではないのだ。
(特に、社会的共通資本の性質上、運営においては採算の取れるものでない場合が多く、市民の生活を守るために赤字でも公的部門によって運営されるべきものとされている。
一方で現実には、政治家の新自由主義的な考えによって、経費が削減されたり民営化されたりすることがある。)
そんな社会的共通資本について、制度学派の立場からその概念を整理したのが宇沢弘文先生である。社会的共通資本といえば宇沢先生だし、市民の生活の基盤を整備する話や地方財政の話でも宇沢先生の社会的共通資本の話が出てくるほど、大変重要な概念である。
宇沢先生の考える社会的共通資本には制度が含まれるのが特徴的だ。
いくら世界で活躍した経済学者が言っていることとはいえ、制度が資本だなんて違和感満載である。実際、批判の的になっている。
しかし、制度が社会問題の解決のために改善が積み重ねられて今の形になった、という歴史を振り返れば、実は制度には資本の特徴であるストックの側面があるといえるのだ。なるほど。
ここで言う制度が指すものには、具体的には教育や医療、市場などあらゆる制度が含まれる。
これらが市民の生活を支えるためにきちんと機能するよう整備されているかどうかが重要であると宇沢先生は言っている。もっともだと思う。
例えば、実体経済に合わない形で資産価値だけが上昇するような市場のシステムは、一部の資産家のために多くの市民を犠牲にする。
カーボンプライシングだって、高ければ高いほど気候変動対策にはなるが、低所得者を苦しめる結果になりかねない。
医療費については、本当に必要な人に必要な治療を必要な分だけ提供する医者が損をする診療報酬体系になっていないか。
こうした問題はバラバラに受け取られがちであるが、社会的共通資本という概念を持ち込むことで、市民の生活という共通の視点から、その在り方を考え直すことができるというわけだ。
以上の点については、重要な指摘であることはわかるが、個人的にはやはり制度は資本に含まれないと思う。
自然資本やproduced capital(訳を思い出せない)のストックのプラスマイナスは、量的に計られている。
質的な部分については、人間がどう採取したりどう作ったりどう活かすかというときに問題になるのであり、資本そのものの評価とは別の問題のように思える。
一方で、資本としての制度は、その質が評価対象になる。そこにはどう作ってどう活かすかという観点が既に組み込まれてしまう。
そうであれば、むしろその制度を作っている人や組織、コミュニティなどを社会の基盤となる資本として認識する方がシンプルだし、資本の蓄積を通じた課題解決方法を示すことができるのではないだろうか。
宇沢先生は基本的に専門家の役割を重視しているが、社会的共通資本の管理については、誰がどのように関わるべきかということを明言していない。この点に対しては批判が多いという。
管理とまではいかないまでも、少なくとも市民が社会的共通資本のありかたをめぐって議論を重ねたり政策決定を行えるような社会になってほしい。行政の腕の見せ所だと思う。