頑固系OLのおっとりな本棚

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メディアは人種差別に対する認識を広める役割を

 あまりめざましテレビは好きではないのだが、さらに嫌いになりそうな報道があったので書き留めておく。

 

 マリナーズCEOのケビン・マザー氏が、球団匿名コーチの岩隈氏らに対し「英語がひどい」という旨の侮辱発言をし、ツイッターなどで国内から猛批判を受けて辞任したというニュース。問題は、岩隈氏自身がケビン・マザー氏を擁護する内容を言及しているとして、「懐が深い」と三宅アナウンサーが評価して締めくくった点だ。

 

 ケビン・マザー氏を批判していた人たちは、岩隈氏だけに向けられた侮辱発言とは捉えていない。人種差別の根っこにはびこる言語に対する偏見に対して批判をしているのだ。

 

 人種差別問題に疎い日本人にはあまり認識されていないが、人種差別の一要素になってきた言語差別は非常に根深い問題だといわれている。たとえ未来に肌の色に対する偏見が世界中から消え去ることがあっても、その後も言語差別は残るだろうと予測する人もいるほどだ。

 

 20世紀前半に黒人差別問題に精力的に活動した精神科医フランツ・ファノンは、自身の著作において、黒人の人々が差別構造を内面化し、白人になろうとする様子を記録している。その象徴的なエピソードとして、黒人がフランス語が話せないことを馬鹿にする風潮に対し、差別を受ける人々がフランス語や英語を流ちょうに話せるようになろうと努力する人々の姿が描かれる。(たとえ話せるようになっても人々の偏見はぬぐえないのだが)

 

 つまり、岩隈氏のケビン・マザー氏を擁護する発言は、 そうした人種差別に苦しんできた人々の抱いた違和感や怒りを逆なでしかねない。

 

 岩隈氏が悪気がなかったのは明らかである。では、何が問題だったのか。

 

 まず、岩隈氏があのような立場をとった背景には、スポーツ界からの政治的な発言を許容しない日本の風潮が背景にあるだろう。スポーツをする人々にとっては過激な発言や論争に対して、いわゆるスポーツマンシップを持って冷静に対処し、仲介するような役割を担うことが是とされる。世論はその対応がもたらす社会的影響よりも、発信した個人の人格への評価へと傾きがちである。

 

 まさに、三宅アナウンサーが岩隈氏を「懐が深い」と表現したことは、この社会的構造の現れであった。

 

 さらに問題なのは、三宅アナウンサーが飲み会でこのような紹介の仕方をするのはまだしも、これが多くの人が見ているメディアで堂々と流されたということだ。

 メディアが人種差別的問題について現状維持を支持しているような恰好ともいえる。

 

 このような国民にとってわかりづらいニュースについて、正しい認識を広めていくのがメディアの役割であるはずだ。今回の報道は、言語差別について、海外ではどのように問題視されているのかを国民に広めるチャンスだったともいえる。

 

 今回に限らず、日本のメディアは社会に変革のインパクトを与える機会を逃し続けただけでなく、現状への固執に加担してきた。多くの人が海外のメディアも含めて動向をチェックし、メディアの在り方について考えていかなくてはならない。

 

※ファノンの著作は私自身は読んでいないが、今月のNHK「100分de名著」で取り上げられていたのを見て紹介しています。