頑固系OLのおっとりな本棚

頑固な思考から解放してくれるような本との出会いをマイペースに紹介

里山保全による担い手確保にこだわる理由

 先日、公的機関へのインターンに挑む学部生たちの前で、インターン経験者として経験談を話してきた。

 経験談と言っても、私は審査で先生をうまいこと言いくるめて職業体験でないインターンに参加してしまったので、まるで参考にならない話しかできなかった。「お昼ご飯って一斉に食べるんですか?」という低レベルな質問にさえ答えられない始末だった。なんなんだその質問は…

 

 ただ、私が伝えたかったこと、人口減少や財政難という制約が年々大きくなる中で、いかに前例にとらわれない取組みを進めていくことができるのかが公務員には試されているということ、そして公務員試験の勉強ばっかせんとスーパー公務員の本を読めということは言えたので満足。

 なお、低レベルな質問をしてくる彼らにちゃんと伝わってるかどうかは定かでない。だって島根県邑南町の公務員さんの本と、ポートランドの本を紹介した後の質問で「インターンの準備は何をすべきか」と聞かれたもん。(今紹介した本を読まんかい!)

 

  紹介した本はこれ。あとは、山崎さん著のポートランド市のまちづくりの本も。

 

 いい表紙だなあ。邑南町にいったことを思い出す。でも本を買うなり即カバー捨てちゃうタイプなので、残念ながらカバーを後輩らに紹介することはできなかった。

 ------------------------------------------------------------------------------------------------- 

 また研究の方向性が変わりそうなので考えを記録しておこうと思う。

 

 研究テーマは通常かなり限られた範囲のことを扱うことが多い。研究対象を絞って絞って絞って、でないと研究方法が定まらなかったり、ぼんやりとした内容になってしまうからだ。

 

 ただ、私はこの作業がかなり苦手であり、6月になったというのにまだ研究テーマが十分に絞り込めていない。

 

 その原因は、情報過多だと思う。普段抱いている問題意識や「こうなればいいのに」がたくさんありすぎて、どれかに絞るのがすごく難しくなってしまうのだ。

 

 そういう意味でも、先生の言っていた「事例を探してからテーマを決める」というのは理にかなっている。ただ、これはあくまでも事例を探すのもとんでもなく下手な場合を除いてだ。いい事例がまだちゃんと見つかっていない。

 

 しかし、構想発表会に向けていろいろと準備をしているなかで、明らかに自分の問題意識に無駄な部分が多すぎることに気づいた。というか、気づいていたけどどこが無駄なのか明確にはわかっていなかったという方が正確だ。

 

 私がやりたいことは、非常にシンプルだと思う。(周りから見たら複雑かもしれない)

 少ない担い手でも、地域づくりの担い手を増やすには、地域資源保全活動が有効だということを提案したいのである。

 

 ここでいう地域資源は、いわゆる里地里山二次的自然のことをさしている。

 

 これらは多面的機能を持っていて、都市部の人々にとってもなくてはならない存在である。

 

 地域資源を守ることが担い手確保につながるということは既にこれまでの研究においても指摘されてきたことだとは思うが、あえて今このことを強調する理由は2つある。

 

 1つは、地域づくりの意義を、人々の暮らしを守るということよりも、多面的機能の維持に訴えかけた方が長くかかわってもらえると考えるからだ。

 

 ポートランド州立大学の先生が、「必要性の高いプロジェクトは、担い手不足にならない」と言っていた。

 この意見に全面的に賛成というわけではないが、長期的に地域づくりに携わってくれる人を地域外部から確保するには、単にそこに住んでいる人のために地域を守るといった考え方よりも、都市部の人々も地域を守る必要性を感じられる方が効果的だろう。

 

 特に最近は高齢化が著しいので、せっかく地域づくりの活動をしていても、住民がゼロになったときに活動が止んでしまうという問題に頭を悩ませる地域もある。これは、地域住民のためだけにその事業が行われていた証拠に他ならない。

 

 住民がいなくても続くような持続可能な取り組みにしたければ、地域資源の多面的機能の維持という都市部の人々にも直接関係する目的に拡張する必要があるだろう。

 

 もう一つの理由は、近年の田園回帰の傾向にある。都市部からの移住者は、田舎ではなくド田舎への移住が多いということだ。

 

 つまり、単に農業がしたいだけではなくて、自然と共存した、まさに里山での田舎暮らしを夢に見る人が多いということである。

 また、地域資源を1から再生することのプロセスを楽しむ人も多い。例えば、耕作放棄地をきれいにしてみるとか、野焼きをして草原を復活させるとか…どれも重労働だが、大きな達成感が癖になるらしい。

 

 このようなタイプの人々の田園回帰が多いことから、地域資源保全する活動ができるフィールドを用意してあげることが、関係人口を呼び込む一つの手段として、その有効性が高まりつつあるのではないかと考えた。

 

 新規就農して離農する人が3割くらいいるらしいから、そういう人を捕まえて林業してもらってもいいなぁとか思っているけど、どうなんやろか。

 

 とりあえず事例を探さないと始まらん。

 

ダスグプタレビューのレビュー(低レベル編)

 農業・農村政策の分野で著名な小田切徳美先生の今年出版されたばかりの著書を読んだんだけど、今までの小田切先生の主張をぎゅっとまとめたような内容になっていて大変勉強になった。

 産業政策の影に隠れてしまった暮らしの政策(農村政策)をどう改善していくべきか。こんな視点での議論がもっと認知されればいいなと思った。

 農業や農村に対する誤解や偏見は多いから、都市農村交流は今後もすごく大事だと思う。

 

農村政策の変貌: その軌跡と新たな構想

農村政策の変貌: その軌跡と新たな構想

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------

さて、4・5月のゼミで読んだ「The Economics of Biodiversity The Dasgupta Review」について感想を書き留める。

www.gov.uk

 このレポートは、英国政府がダスグプタに委託して作成したレポートで、全部で約600ページある。

 しかし、要約バージョン(100ページ)がよくできているということで、教授が紹介してくれたのだ。

 

 実は、このレポートが出たばかりのころ、日経新聞でこのレポートについてのコラムが掲載されていて気になっていたから、ちょうどよかった。

 

 生物多様性の本質とそれにまつわる経済学の議論をまとめたような感じ。

 書いてあることはそれほど目新しいものではないものの、このレポートを読むだけで生物多様性にかかわる経済学の概要が把握できそうなほどまとめられていて、これまた勉強になった。

 

 全体を通して強調されていることは、豊かさとは何かということである。

 

 これまで世界はとにかく経済的成長を追い求めてきた。物的豊かさを向上させるため、たくさん物を作ったり、そのために設備を買ったり…

 

 これらの富は、GDPで測られてきた。そして、GDPが伸びるほど、成功している国だというのが世界の認識だった。経済学的に言えば、Produced Capitalという資本のフローが重視されてきたということだ。

 

 しかし、そうした物的豊かさを得るために、われわれは実に多くのものを犠牲にしてきた。時に途上国の人々の健康を奪い、時に自然を破壊してきた。

 

 果たしてこのような社会は本当に豊かだといえるのだろうか。GDPが伸びることだけが重要なのだろうか。

 

 そんな疑問から、経済学者らは資本の概念を拡張した。資本の概念に人的資本(Human Capital)と自然資本(Natural Capital)を加えたのだ。

 

 さらに、フローだけでなくストックにも注目する。 人的資本があるからこそ、自然資本があるからこそ、Produced Capitalを蓄積できる。一度壊れると元に戻れない、自然の性質も加味することになる。

 

 これまで、生物多様性が提供してくれるサービス(空気とか、天然資源とか)には価格がつけられてこなかった。無料だから、無限にあるものと錯覚してしまい、過剰利用されてきた。生物多様性のわかりづらさから、人間は無意識のうちにそれを破壊してきた。

 

 価格付けは、こうした自然が人間の活動に与える影響やその存在価値を可視化し、過剰利用を抑制したり、保護活動を促したりするのに役立つ。そして、自然や人権が守られているかどうかの情報も含めた、人々の本当の豊かさを測定することもできる。

 

 地域レベルの取組の重要性やコミュニティで取り組む意義、環境教育を強化する必要性なども語られている。この部分に関しては多くの人が共感するはず。

 

 ただ、やっぱり生物多様性の問題は他の問題に比べてかなりわかりづらいなと思う。生態系はつながっているんだから、どっこも壊しちゃいけない、という主張もあり得る。一方で、人間の生活を全部犠牲にして全部の生物を守る必要があるのか、という意見ももっともだ。

 

 さらに言えば、人間の経済活動と自然環境のトレードオフだけではなくて自然環境保護活動のトレードオフもあるように思える。このレポートで取り上げられていた例で言えば、ゴミ問題の解決のための生分解性プラスチックを使った農業用マルチが注目されているが、土の中で分解されるといえ、土の中の生態系を変えてしまうことには変わりないという反対意見もあるようだ。

 

 いったいどこまで生物多様性を気にかけるべきなのか…ますますわからなくなる。

 

 教授は、理想の地球にするためには膨大な費用もかかり、国民的合意がとれないため、生態系サービスが人間にもたらす部分だけを価格付けをして守っていく必要があると言っていた。公害問題の「最適汚染水準」の議論と似ている。(経済学のこういうところ好きなんだなあ、合理的な妥協点を探るっていう感じ?)

 

 生物多様性のどの部分が人間の暮らしに影響を与えるのか、そしてそれをどのように評価するのか。技術的課題は多い。

 

 レポートは基本的に発展途上国を念頭に書かれており、ダスグプタのすべての提案を日本に直輸入するのは望ましくない。

 しかし、成長なしに豊かさは得られないという考え方を長年にわたって日本政府から植え付けられてきた市民に、発展のあり方を問い直すよう訴えるレポートであることは間違いない。

 

誰か英語のできる人が翻訳版を作ってくれたらなぁ…(わしはやらんぞ)。

耕作放棄地ってきれいにしなきゃだめ?

amazon Audible(聴く読書)が時間の有効活用にもってこいで、寝る前や家事をするときによく聞いている。

 

寝る前はスリープタイマーを付けることができるのが便利。だいたいは私が寝付く前に終わってしまうんだけど。

 

今は寝る前に「サピエンス全史」を聴いているんやけど、昔は家畜の豚をコントロールするために鼻を削いだだの、ハムラビ法典では重罪を犯した者は本人ではなくその子どもが死刑になるという罰を受けるだの、気分が悪くなる話ばかりで寝られなくなりそうだ。

 

あと、もっと学術的な本もそろえてほしい。小説とか自己啓発本はあんまり好きやない。

-----------------------------------------------------------------------------------------------

 

 今日は、1か月ほど研究を進めてみて考えたことを書き留めることにする。

 

問題意識の出発点は阿蘇の「野焼きボランティア」の事例について知ったことだった。

美しい草原を守るため、全国各地からボランティアが集まり、野焼きを行うこの行事。

数千人の関係人口が創出されている。

 

他にも、世界農業遺産に登録されている四国の田園では、その風景を売りに関係人口を増やしたり、女性など地域の多様な人材が協力して特産品をつくるなどの活動で地域を盛り上げている。

 

景観を守ろうという活動は、環境面から見てもメリットが大きいし、人口減少に直面する地域が関係人口と交流することで新たな地域づくりの形を模索できる。そうして地域に誇りが取り戻される。

 

景観の重要性を確認するとともに、人口減少下で少しでも耕作放棄地を減らし、きれいな農地が広がる地域を見た外部の人々が地域を気に入ってくれる、そして地域づくりの担い手が増えて、景観が守られていく。そんな好循環が生まれてほしい。

 

そのために、人手不足の中でも耕作放棄地を少しずつ減らしていける方法は何か、と考えたときに、放牧が思い浮かんだ。

 

3年前に放牧農家に取材した際、放牧のすばらしさについていろいろ教えていただいた。省力化には大いに貢献できる方法だ。感動する一方で、それを支える地域の人々の視線はすこし冷ややかであることも同時に感じた。

 

放牧がもっと地域全体でその有効性が認識されたらいいのに。

 

そう思って、放牧の動向などを調べていた。

放牧自体はお金がかからないし、経済支援策は十分そうに思うが、全然広まっていない。

こんなに支援があるのに広まっていないのはなぜか。

 

まてよ

 

そもそも耕作放棄地対策は各地でされているし、経済支援策自体も十分にされている。

耕作放棄地をきれいにする業者によるビジネスがたくさん生まれていてもおかしくない。

 

なんでこんなにも耕作放棄地が増えているのか。

 

農水省のデータでは、担い手がいないことが耕作放棄地発生の原因の40%を超えていた。

これを安易に信じてしまったことで、放牧に注目する羽目になっていたのだが、実は耕作放棄地問題の構造的な問題は、人口減少や高齢化だけではなかった。

 

実際は、条件不利地、つまりあまり収量が見込めない土地が耕作放棄地になっていっているというのだ。

 

でも、その条件不利地でもともと誰かが耕作をしていたわけで、本当はできるんじゃないのか、と思ってしまう。

しかし、昔と事情が違うのは、農産物の価格である。

 

昔は条件不利地で少量しか収穫できなくても、農産物価格が十分に高かったため、何とか食べていけていた。

しかし、現在では農産物価格が下がりすぎており、条件不利地での農業は厳しさを増したのである。しかも、条件不利地であるほど獣害がひどいというのだ。

 

安易に統計データを信じちゃいかんな。

 

そうなると、この研究の方向性自体が揺らいでくるではないか。

条件不利地を公益のために無理に農地として活用させようなんて、一経営者としての農家に失礼な話である。

 

必要なのは、使える農地なのかどうか判断し、使えないものは自然に返す、そして、使えそうな耕作放棄地を計画的に整備していくこと、ということになる。

つまり、地域の縮充を目指す形だ。

 

また、農地の多面的機能などの公益的なメリットから農地の保全を行うとすれば、それはその地域の人たちがやるだけでなく、その恩恵を享受する都市の人たちを動員するようなスキームが必要である。

 

ここで、最初の問題意識と照らし合わせると、2つの疑問が思い浮かぶ。

 

①自然に返すというが、それでも結局は手入れが必要になってくるのではないか。

例えば荒廃した森林のようになって多面的機能が失われたり、景観が乱れたりといった影響がうまれるのではないか。

 

耕作放棄地はどのように分布しているのか

森林に近い側から徐々に耕作放棄地が広がっていくような形になっているのか、条件不利地がまとまって存在しているのか、それともスポンジのようにポコポコと生まれてしまうのか。

 

これらは今後調べていきたい。

 

先生から言われたことで印象的だったのは、

 

耕作放棄地問題が言われて久しいにもかかわらず、また様々な取り組みが試されているにもかかわらず減らないということであれば、悪循環をもたらす構造的な問題を断ち切らなければならない。

②研究に行き詰っているのであれば、事例から入っていくのも一つの方法だ。特に、成功しているわけではないが、大変興味深く、分析する価値のありそうな取り組みについて、再評価する形で論文を書くのも面白い。そこにオリジナリティを見いだせる。

③研究は、既存研究の模倣から入るor事例から入る の二つがある。

 

②に関しては放牧がバッチリ当てはまってますけどネ…

と思いつつ。しょうがないからゼロから出直します。

なぜ企業は農業に参入するのか…確かに。

「牛乳を注ぐ女」で有名な井上涼さんの「玉虫の家庭教師が玉虫厨子」という曲がテレビで流れていて、あんまりにも可愛いのでフクフク笑いながら見た。

2回も流してくれて、さすがNHK、よくわかってんなー。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------------

本日は、農林統計出版「なぜ企業は農業に参入するのか」渋谷住男編著を読んだ感想を少しだけ書き留めておく。

データが充実していて助かる。

 

本題に入る前に、企業参入に関する規制がどんな風に変遷してきたのかなど、政策について説明から始まる。以下、要点。

 

●1960~70年代は、家族経営を発展させる、耕作者の権利を守るための法律。1980年代以降、担い手不足や遊休農地の問題を受け、少しずつ企業が農業に参入できるよう法改正が行われてきた。

●2000代からは、農地リース制度が設けられ、企業が貸借による農地取得権利が認められるようになり、ぐんぐんと企業参入が進む。

 

企業参入は、農地の所有権の有無と農作業を実際に企業がするのかどうかの2つの要件から、4つのタイプに分けられるという説明が超絶わかりやすかった。ありがとうございます。

 

その後、衝撃のデータがお披露目される。

なんと、企業は農業に参入したものの、その多くは農業部門単体では黒字にならないらしい。

 

実際、参入企業の3割しか黒字になってないみたいだし、多くの企業は参入から5年くらいたたないと黒字にならないようだ。

 

えぇ…そうだとすれば本当に題名通り、「なぜ企業は農業に参入するのか」という疑問が出てくる。

 

著者は「効用の発現」と呼んでいた(これ普通の表現なのか?)が、参入することで本業にいい影響がもたらされるという理由で、赤字覚悟で参入する企業があるという。

 

本業にいい影響とは、例えば建設業なら、冬期に仕事が集中しがちなので、夏場に米を栽培することで、従業員を周年で雇い続けることができるとか、食品加工業者なら、安定した原料調達ができるとか、業種によって様々である。1つ一つの業界について各章でどんな効果がでているかを分析している。

 

耕作放棄地の削減などの地域貢献によって企業イメージUPを図ることも企業の効用であるとも書いていた。確かに、CSRへの取り組みは今や標準的なものになりつつあるが、統計上では売上のように定量的に測ることができないので、掲載されたデータは主観的なものに過ぎない点に注意が必要だ。

 

最後には、行政やJAを含むステークホルダーがどのように対応すべきかについても書かれていた。

 

どの分野でもよくあることだが、一般企業がやりたいことと行政が企業に期待することには乖離がある。例えば、耕作放棄地をたくさん減らしたい行政は、企業に大規模な農業をやってほしいと思っている一方で、参入企業は本業ではないため中小規模の農地から始めることが多く、8割ほどが5ha未満の農地しか使っていないのが現状だという。

 

行政は企業に過度な期待を寄せて支援の対象を絞るのではなく、多様な企業に参入してもらえるようインセンティブ政策を設定すべきというのが著者の考えだ。そのために、行政は農水部門だけで(つまり縦割りで)対応するのではなく、福祉や教育など別の分野を担当する部局の人と一緒に支援内容を考えることで、農福連携に取り組みたい企業など、さまざまなタイプの企業参入を促すことができるかもしれない。

 

私もこの意見に大賛成である。

確かに、同じような規模・作物・業種の企業参入を進めた方が行政コストは浮くが、景気の動向によって突然たくさんの企業が同時に撤退するなど、偏った企業誘致にはリスクがはらむからだ。

 

メディアが大企業のICTを用いた農業参入ばかりを報道するから、企業参入による農地保全にはいろんな課題があることを知らなかった。農業の文献は知らないことがたくさんあって読みごたえがある。

放牧はいいも~ぅ 「水田活用新時代」

就活して研究完了報告書を書いて研究計画書書いてたら4月が終わった…長かったなぁ

 

私は3月に内定もらい、これから待ちに待ったのびのび研究生活である。

 

しかしそんな研究生活が始まるやいなや私を襲ったのは胃腸炎であった。

教授に会った日は38度代の熱を出していた。どうりで研究指導してもらってた内容を覚えていないのだ(言い訳

 

数日前からすごくお寿司が食べたいが、しばらくはおあずけになりそうだ。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

今日は農文協のシリーズ「地域の再生」から、「水田活用新時代」の感想を書く。

 

 

なぜこの本を手に取ったか。

図書館にいって水田の活用関連の本を探していたのだ。放牧の話も含まれていて最近の関心に近かった。

 

5年間、地域の取り組み事例を散々調べてきたわけだが、結局は人手がなければ全部できない。しかし、私がのほほんと研究しているのをよそに過疎化は許可なく進み続け、研究の成果を超自慢げに発表した暁には「人がおらんけんできん」と言われる始末である。

 

もう関係人口でも誰でもいい。何があれば人が農山村にくるのか。

 

思い浮かんだのは、みんな大好き「田園風景」だ。

 

日本にごまんとある農山村。

選ばれるとすれば耕作放棄地の少ない、きれいな景観のところではないか。観光面でもそうだし、まさか耕作放棄地をみて「よぅうっし!農業を始めよう!」なんて気合いが入ってしまうような人はいないだろう。

 

実際、農業遺産に登録されている地域には、多様な人材が集まりつつあるようだ。論文も結構ある。

 

人間と同じく、地域も守りたいと思えるものを持ったとき、力を発揮するのかもしれない。

(農村の研究者である小田切先生の「誇りの空洞化」は本当に存在すると思っている)

 

そこで、耕作放棄地をなるべく地球環境と地域経済に優しい方法で活用できないか、ということを調べていたところ、ちょうどこの本に当たった。

 

2010年の本なので、今とは少し状況が異なるが、著者の主張でなるほどと思ったことは次のような部分だ。

 

●食糧や飼料の価格高騰は、単に気候変動による収量の変化によるだけでなく、中国が人口予測などに基づいて在庫を調整するなどの複雑な情勢によっても起こりうる。

●日本人の食生活は植物性タンパクから動物性タンパク質にシフトしてきているが、飼料はもっぱら輸入に頼るため、食糧自給率は低い。

●日本では、小麦などを安定して栽培するのが難しいので、安定してとれるお米の栽培を続けた方がいいし、拡大の余地はある。

 

→以上より、日本では飼料用のお米の栽培を増やすべきである

 

●食糧自給率を本格的に向上させるには、米+麦・大豆の二毛作にして、周年で農業経営をできるようにすることで、従業員を雇う大規模経営を実現させることが有効である。

●麦や大豆は生産量や品質に対応した助成がなされておらず、市場価格が高騰しても作付面積が増えない構造となっており、加工業者のニーズにマッチしないことから、国産の麦大豆を使う業者が少ない。

 

コミュニティビジネスにより、米麦大豆の6次産業化を目指すべき

 

飼料米+麦大豆の二毛作と放牧による除草は相性がよい。生態系を崩さず収量を増やせる。

●特に畜産農家の労働負担の軽減、経済的負担の軽減につながる。島根では高齢の畜産農家の間で取り入れられている。

●放牧や堆肥作りを地域ぐるみで行うとなおよし。

●放牧は牛が溝にはまって死んでしまうなどリスクがあることが課題。

 

放牧はいいなぁ。こんなにメリットが多いのになんで広まってないのか。いや、知らないだけでみんなこっそりやってるのかも。有機みたいに認証制度もないしね。

 

これから放牧の効果について調べて、研究の道筋を立てようと思う。

その前に寿司が食いたい。

メディアは人種差別に対する認識を広める役割を

 あまりめざましテレビは好きではないのだが、さらに嫌いになりそうな報道があったので書き留めておく。

 

 マリナーズCEOのケビン・マザー氏が、球団匿名コーチの岩隈氏らに対し「英語がひどい」という旨の侮辱発言をし、ツイッターなどで国内から猛批判を受けて辞任したというニュース。問題は、岩隈氏自身がケビン・マザー氏を擁護する内容を言及しているとして、「懐が深い」と三宅アナウンサーが評価して締めくくった点だ。

 

 ケビン・マザー氏を批判していた人たちは、岩隈氏だけに向けられた侮辱発言とは捉えていない。人種差別の根っこにはびこる言語に対する偏見に対して批判をしているのだ。

 

 人種差別問題に疎い日本人にはあまり認識されていないが、人種差別の一要素になってきた言語差別は非常に根深い問題だといわれている。たとえ未来に肌の色に対する偏見が世界中から消え去ることがあっても、その後も言語差別は残るだろうと予測する人もいるほどだ。

 

 20世紀前半に黒人差別問題に精力的に活動した精神科医フランツ・ファノンは、自身の著作において、黒人の人々が差別構造を内面化し、白人になろうとする様子を記録している。その象徴的なエピソードとして、黒人がフランス語が話せないことを馬鹿にする風潮に対し、差別を受ける人々がフランス語や英語を流ちょうに話せるようになろうと努力する人々の姿が描かれる。(たとえ話せるようになっても人々の偏見はぬぐえないのだが)

 

 つまり、岩隈氏のケビン・マザー氏を擁護する発言は、 そうした人種差別に苦しんできた人々の抱いた違和感や怒りを逆なでしかねない。

 

 岩隈氏が悪気がなかったのは明らかである。では、何が問題だったのか。

 

 まず、岩隈氏があのような立場をとった背景には、スポーツ界からの政治的な発言を許容しない日本の風潮が背景にあるだろう。スポーツをする人々にとっては過激な発言や論争に対して、いわゆるスポーツマンシップを持って冷静に対処し、仲介するような役割を担うことが是とされる。世論はその対応がもたらす社会的影響よりも、発信した個人の人格への評価へと傾きがちである。

 

 まさに、三宅アナウンサーが岩隈氏を「懐が深い」と表現したことは、この社会的構造の現れであった。

 

 さらに問題なのは、三宅アナウンサーが飲み会でこのような紹介の仕方をするのはまだしも、これが多くの人が見ているメディアで堂々と流されたということだ。

 メディアが人種差別的問題について現状維持を支持しているような恰好ともいえる。

 

 このような国民にとってわかりづらいニュースについて、正しい認識を広めていくのがメディアの役割であるはずだ。今回の報道は、言語差別について、海外ではどのように問題視されているのかを国民に広めるチャンスだったともいえる。

 

 今回に限らず、日本のメディアは社会に変革のインパクトを与える機会を逃し続けただけでなく、現状への固執に加担してきた。多くの人が海外のメディアも含めて動向をチェックし、メディアの在り方について考えていかなくてはならない。

 

※ファノンの著作は私自身は読んでいないが、今月のNHK「100分de名著」で取り上げられていたのを見て紹介しています。

 

 

地方は地方の強みを活かすべし「地方の論理」

最近、就職活動をしていてなんて時間がかかるんだ、なんて機械的な作業が多いんだとぐちぐちモードである。

 

マイナンバーに成績を登録するだのだの言ってる人いたけど、そのマイナンバーの登録情報に基づいていい就職先にすばやく面接に繋げてくれるサービスとか始めてくれるのであればまだしも、そうじゃないならそんな駄策は口にするのもやめてほしいものだ。

 

インターンは1社しか行っていないが、こんなに勉強になるとは正直思っていなかった。

たとえ表向きだとしても、自分の仕事が社会にどう貢献しているかを説明できるって、やっぱり社会人はすごい。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

最近読書が停滞気味であるが、久々に新書を読んだので少しまとめておくこととする。

北海道を中心に地域活性化に取り組んできた小磯氏の「地方の論理」だ。

 

地方の論理 (岩波新書)

地方の論理 (岩波新書)

 

 

「地方の論理」って最初どういう意味なのかさっぱり分からなかったが、大きな趣旨としては、地方では地方の強みをいかす、中央とは異なる地方の特性を活かした独自路線で日本を支えていくんだ、という論理だったと思う。

 

 

いろいろな分野のいろいろな事例が盛りだくさんで軸が見えにくい著作だったとは思うが、ポイントをいくつかピックアップすると以下のようであろう。

 

①辺境の強みを活かす。

②平常時と非常時、どちらでも力を発揮できる事業を。

③小さな力を結集し、その地域のならではの方法で地域の危機に立ち向かう。

 

①~③は、それぞれ独立したものではなく、互いにかかわりがある。

 

例えば、東京だけに事務所が立っているよりも、辺境である北海道などに支所があった方が、非常時でも業務が継続しやすい。

 

道の駅は地域活性化の拠点になるだけでなく、非常時には避難所になる。

 

以前からこのような取り組みをする企業や自治体はあったとは思うが、その共通項がうまく見出されており、合理的でかつ時代に合う形で提案がされている点は、まさに「論理」という言葉がぴったりである。

 

この本の特に面白かったところは、グローバル課題や国際政治的な問題について、地方からの視点で取り組むことができるという示唆が含まれているところだ。

 

一番驚いたのが、北方領土問題について書かれたところだ。

 

北方領土問題なんて、国、しかも首相クラスの人が主体となって取り組むイメージしかない。

 

しかし、北方領土に近い地域では、以前から北方領土に住むロシア人との間で住民レベルで交流が行われ、長い時間をかけて信頼関係を育んできたというのだ。

 

そこで、著者は、フィンランドスウェーデンの間にあるオーランド諸島が、両国の制度をうまく取り入れ、自治権を獲得しながら独自の文化を形成してきた事例を北方領土問題と重ね合わせ、北海道の住民と北方領土に住む人々が共生しながら独自の地域をつくっていく方向での領土問題解決策を提案している。

 

両地域の人々が作り上げてきたコミュニティは、間違いなく地域の大事な資源である。政府は活かすべきだし、せめてその資源を台無しにするような政策が行われないことを願うばかりだ。

 

こうした地域の可能性について、これまで本州の人々が知る機会が少なかったということは、地方の役割やポテンシャルがいかに軽視されてきたかということの現れだと思う。

ここまでくると国がやるべきことだ、国しかできないのだ、という考えは、地域に対するある種の偏見なんだろうなと感じる。

 

 

他にも、由比の桜エビの資源管理をはじめとする「コモンズ」に関する事例はどれも興味深かった。コモンズって最近流行ってるだけあって、その概念は比較的多くの人に受け入れられるんじゃないかなと思った。

コモンズ概念に基づく資源管理の実施には時間がかかるし、合意形成のわずらわしさもあるが、そのプロセスこそが地域のポテンシャルを高めていくのだろうと思う。

これ研究テーマにしたいなぁ。

 

研究も、地域から国政に影響を広げられるようなものがいいかもしれないな。